人格の完成
人格の完成とはどこでよく聞く言葉でしょうか。
答えは
教育基本法第一条
です。
第1条(教育の目的) 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
とされています。
こういう条文見たときに僕がまず思うことは
「一つの条文にいろんな要素盛り込みすぎ」
です。
こんなことを言うと頭の固い勉強ができるタイプの人間から「これくらいの内容も理解できないのか」と言われそうですが、多くの人に目を通して理解して欲しかったらもっと簡潔にするべきだと思うんです。一つ一つなら難しくないのにまとめて提示することで理解を困難にする。
僕らのように教育に関して学習した人ならいいですが、そうでない人はたくさんいますよね。どれだけ多くの人に誤解なく簡潔に伝えられるか。そこに焦点を当てたら、すべきことは明白です。
形を大切にしすぎるあまり、理解できない人を置いていく、そんな教育が僕は大嫌いです。
(つまり特別支援教育の観点は神)
そもそも人格の完成ってなんやねんって感じじゃないですか。
平和的で国家や社会の形成者の一員となるために
真理と正義を大切にする
個人の価値を尊重する
勤労と責任を大切にする
自主的精神に満ちて心身ともに健康になる
これができたら人格の完成なのでしょうか
どうして完成した姿がもう決まっているのでしょうか
人は皆違うのに。
個性を大切にするはずなのにむしろ均している
そんな公教育に僕は辟易しています。
少し誇張した解釈でしたが、まあ色々と納得いかない点がある、ということです。
みなさんは人格の完成をどのように捉えますか?