佐藤の日常記録

1997年生まれの人生奮闘記

教育に関しての学習成果1

教育における時間概念に関する考察

-ある幼稚園の実践事例をたよりに-

藤川大祐(千葉大学教育学部

 

を読みました。面白かったことや勉強になったことや考えさせられたことをまとめます。

 

人の一生よりも緩やかに社会は変化していくと考えられていた時代がちょっと前まであったようです。しかし社会経済状況の変化は加速を続けており、この考えのまま学校教育を構築していくのは既に厳しい状況にあるとのことです。分かってはいましたがこのように綺麗に言語化されるとスッと自分の中に落ちていきますね。変化の激しいこの時代に生きる力を育もう、とか言われるよりもよっぽど分かりやすいですね笑

 

社会の変化にどう対応するかについてデューイが『民主主義と学校』の中で以下のように示しているそうです(言葉はちょっとだけ変えてます)。

社会が「絶え間ない自己更新を通して自己を維持する」こと、そしてこの自己更新は「その集団の成熟した成員が教育を通して成長すること」によって行われる。

つまり社会というものは常にアップデートされていくのだから、その先頭に立ったり、教えていく立場にあったりする人こそが成長する必要があるということでしょうか。教員にも同じことが言えますね。現場はというとそんなことも言ってられないくらい多忙な日々なわけですが。。。

このことについても、なんとなく分かっていたことをバシッと言語化されたような気がしてスッと心の中に落ちていきました。

 

教員が独占的に学習内容を決めるのではなく、集団の中で十分な活動を通すことで生まれた興味や関心を実現する方向で学習内容を決定していくことに可能性がある。

とありました。これって本当にそうだなと思っていて、十分な経験や知識がないと、自分の本当の興味の方向には向かえないと思うんですよ。僕らって様々な知識や豊富な経験があってはじめて自分は本当に何が好きなのか、とか、本当にやりたいことが分かると思うんですよ。それが分かるようになるほどの知識や経験を得ることなく、狭い選択肢の中からなんとなく好きなものを選んで生きてきたと思うんですよね。分からないうちはそうするしかないのですが、そこにどう周囲の大人が関わっていくかって子どもの成長にかなり影響を与えますよね。

これは大学時代に2年間僕の担任をしてくださった星野先生(千葉大)とも話したんですけど、教員の役割って「見えていない生徒にどれだけ選択肢を与えてあげられるか」だと思うんですよね。これを分かってもらえる学生の発達段階は、中学校後半〜大学くらいになってしまうかもしれませんが、本当に僕らって見えていないと思うんです。あらゆることが。高校教師を目指していた僕により英語の力をつけるための時間を星野先生は作ってくれました。予習として英語の論文を読み、どんなことが書かれているのかを訳して発表し、解説をいただく。週一回90分程度、英語教育の研究に関する知識を与えてくれました。そこではSLAに関する様々な知識や専門用語の解説をしてくださりました。コーパスという言葉すら知らなかった僕ですが今ではよく使っています。自分がただ生きているだけでは触れることがなかったかもしれない世界を見させてくれたことにとても感謝しています。現在の僕の1番の興味の対象は英語教育ではなく社会教育学ですが、情報の集め方や、知らない世界を見つけに行く力を教えてくれたのは星野先生だと思っています。

 

小学校の恩師には勉強の楽しさを教えてもらいました

中学校の恩師には教師の素晴らしさを、その先生を見ているだけで感じさせてもらいました

高校の恩師にはどんな人に対しても諦めないで接することが大切だと感じさせられました

大学の恩師には僕の教育の指針になるものを見つける手がかりをいただきました

 

どのステージにも恩師がいる僕は幸せなんだなという結論に至りました。笑

何かを読むことで言語化できていなかったものがハッキリしたり、自分の経験などと結びつけて考えさせられたりすることがありますね。

まとまりませんが今回はこの辺で失礼します!

お読みいただきありがとうございました。